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本屋では日々大量の不要になった図書カードができあがり、破棄されていく。実はこの使用済みの図書カードがボランティアに役立つといことは、みなさんご存知だろうか?
財団法人ジョイセフ(家族計画国際協力団体)
http://www.joicfp.or.jp/jpn/kokusai_camp/syusyu/pripert/dekiru.shtml
使用済みの何の価値もないカードを、欧米のカード収集家か買い取ってくれるそうだ。物好きな人もいるもんだねっとまとめたくなるわけだが、その販売ラインがどうして市場に出てこないんだろうと、第一の疑問がでてきます。ガチで収集してる熱心な金持ちなら、ジュンク堂さんなり紀伊国屋さんに直接交渉すれば、無意味なマージンを省けるわけだし、問屋のようなところ通すと他のコレクターと競争しなければならないのが当然なわけで、もちろん書店側もそれで利益が上がればお得なわけで、コレクターと書店、もしくは消費者が一本の販売ラインを成立させたほうがみんなニコニコの取引が可能なんじゃないのかと。そのためのネットだろと。
第二の疑問は『財団法人ジョイセフ(家族計画国際協力団体)』がちゃんと活動しているかどうかは、表面上でしかわからないという非常にデリケートな問題。本当に活動しているのか確認するためには公認会計士の資格をとって、何となく雇われて、金の動きを確認するか、理事と懇ろになって本音を聞きだすか。
第三の疑問はその寄付で『本当に人が救われてるのか』という問題である。文明とは文化とか繁栄とかは、歴史を振り返れば、幾万幾億の人の屍を道にしてできた非情と慈愛の結晶で、決して人から与えられるものではなんじゃないのかと思うわけです。小難しいことを言ったんですが、必要なのは根本的解決なのです。
例えば高齢化と医者不足それに伴う病院不足でベット数が足りない。じゃ、病院を増やそうでは意味がないんです。ベットが必要となるような、病気を未然に予防しない限り問題の根本的解決にはなりません。それと同じように貧困にあえぐ人に、自転車やミシンを寄付しても結局は水泡に帰すんじゃないんでしょうか? 本当に必要なことは貧困から立ち上がる強靭な精神だと思う。しかし、これさえも、価値観のずれだと感じます。その貧困の中で暮らしている人には、それが苦しい貧困と本当に思っているのか。その暮らしを受け止め生きているかもしれません。貧困がかわいそうと思っているのは、ただの先進国の人間の思い上がりなんじゃないのでしょうか。その暮らしには病や死がつきまとっています。その影が濃いからこそ、幸せの光が余計に輝いているのかもしれません。
現在の日本は世界屈指の自殺大国です。これほど経済が豊かなのに、年間3万人超えと報告されています。日本にいる人間さえ救えないのに、どうやって外国の人間を助けれるんだろう。ましてや、明日自殺するのは自分自身かもしれません。そう思うと自分さえ救われているんだろうかと、疑問に思います。
自由は「自(みずからに)由(たよる)」と解釈できると『人間の器量―小さな自分を捨てる法』(4584303878)で読んだことがあります。人を助けるのはいいことだし、勇気がいる。だがその前に、本当に自分に頼れているのか、自立しているのか、自分は荷物になっていないかをまず考えたい。