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ラー ラー ラー (『風の谷のナウシカ』トルメキア軍突撃の掛け声)
遂に山場を越えた。転勤、5店舗同時開催フェア、通常業務、体調不良、己の怠慢、それらに伴う心身の疲労。多面的な戦いに、その包囲網に、ついおととい突破口を見出し突破した。現在の自分には本当に厳しい仕事だった。これから何とか新しい職場にな慣れ、ブログの更新も頑張っていきたい。その突破口を出た先に、ジョナス・ブログの凄まじい更新履歴。ジョナス、確かに君のヤル気は受け取った。ほんとにありがたい援軍だ。また、頑張れる。
コメントを頂く『ぶろぐあろえ』のあろえさんの記事で、Linkin Parkの紹介記事があって、少々感慨深くなっていた。Linkin parkといえば現在進行形のミクスチャー系(今でもそう呼ぶのかわからないが)の代表格である。しかし、私にとってはある意味、青春時代に感じたミクスチャー系的ファッション要素の限界を感じたというより、完全に終止符を打った思い出深いバンドである。ある意味自分の青春に一区切りをつけたバンドといってもいい。若さがなくなり、好きよと言い出せなかったのだ。
そもそもの始まりはRage Against the Machineである。これが俺的ミクスチャー系の始祖と位置づけている(ご意見はあると思われますが私的感想で)。あの1stの衝撃は異常だった。そのうえ初めてベースで完コピしたのが、2ndであり音楽にのめりこむキッカケでもあった。そこから、Limp Bizkit、Linkin Parkと時代は流れていったように思う(KORNやSystem Of A Down、SlipKnoTなど大物もいるが、ここでは流行を主とするのでその話は省略させていただく)。なぜ、ミクスチャー系に限りをつけたのか? Rage Against the Machineで受けた衝撃がバンドを通していくことで、風化し、新鮮味が徐々に薄れていった。そのうえRage Against the Machineの思想にも大きな共感をおぼえていたのだが、形骸化というべきなのか、日本人ヒップホッパーのヤリスギ感が目につき、客観視し始めたのが大きな理由。そこでもうファッション的にないなっと感じたのが、今振り返ると、『敏感・情熱・また一人』な青春時代の終焉に思われる。それ以来、自分に興味がなくなって、気力さえなくなっていったように感じる。あの時「わて、Linkin Parkが好っきゃねん」と言っていたら、また違う人生があったかもしれない。そうやって「好きよ」と言い出せないうちに、ピンクな噂もなくなり、根暗時代へテレポテーションって感じです。今はその根暗時代が終わったのかは、もちろん未確認です。
なんで、エスパー魔美なのかは不明。何となく貼りたかった。
ハンパねぇーってこういうのを見たときに使うんだな。
Nick Pierce- Improv Groove Solo
尋常じゃない。凄すぎるよ…。中学生の時に見たルナシーのライブビデオのシンヤのドラムソロ思い出して、ノスタルジーのような悲しいような気持ちになったよ。
このドラムソロは正直震えるぜハート。刻むぜビート。燃え尽きるほどヒート。
このNickさんデスメタルのバンド組んでるだけど、バンドが売れないからドラムの講師で生活しているって友人の一一が言ってたな。
機会があって初めてダフトパンクのPVを見たんですが、あの初回限定版のちょっとかっこ悪いジャケの意味が少しわかりました。
Daft Punk 。Harder, Better, Faster, Stronger
クラブで不慮の事故に遭い、奇跡的に復活したという設定なんのも初めて知っただよ。だから、サイボーグみたいなカッコウしてるんだね。